静寂の信仰道からリゾート気分の穂高湖まで
成熟の“MAYA”的登山文化を楽しむ

エリア:兵庫県神戸市

低山トラベラー/山旅文筆家

大内征(おおうち・せい)

摩耶山の登山文化は多様で面白く、そして自由

摩耶山といえば、神戸の夜景の素晴らしさでよく知られる。中でも山上の「掬星台」は第一級の眺めで、夜の帳が下りはじめるととともに視界の隅々まで灯火が広がる様子はとてもロマンチックだ。さすがは日本三大夜景、筆舌に尽くしがたい美しさである。しかし見晴らしの良さなら、日中だって負けてはいない。大阪湾の向こうにたなびく生駒・金剛山地から和泉山脈へと続く山岳展望はこの山ならではの眺めで、これまた抜群の景色なのだ。

昼夜それぞれに優れた展望のある摩耶山だが、もちろん山での楽しみはそれだけではない。町と山上の寺院を結ぶトレイルはいくつも拓かれ、いずれも異なる表情を味わうことができる。仏教文化の形跡が色濃く、磐座や巨木が存在感を示し、古くから山への信仰が深い。山メシを愉しむ人々や“毎日登山”を習慣的に登ってくる人がたくさんいていつも賑やかだし、神戸なのに“穂高”とか“槍”があるのも面白く、それを望む山上の穂高湖はまるで高原リゾートのように気持ちがいい水辺になっている。無数にある谷筋とそこを流れる沢の渡渉は冒険心をくすぐり、歴史好きならスルーすることのできない“幻の徳川道”が歴史ロマンに花を添える。そんな山歩きの仕上げは、水道筋商店街まで下山して灘温泉に汗を流し、地元の飲み屋で一杯やる――これで決まりだろう。

人間の文化的な営みと自然の営みがほどよく交わっている摩耶山では、単に“登山”という目的だけで山遊びに興じるのではなく、これを“手段”ととらえてハイカーに多様な目的を許してくれる。自然を楽しむ高度な市民文化――言うなれば“マヤ文化”とでも言いたくなる。それほど登山を楽しむ文化的成熟度が高いのだ。

坂の町・神戸を見下ろす雷聲寺

新神戸駅からほど近い雷聲寺の階段を登ると、ようやく陽射しを遮る木々に囲まれて安堵した。ここのところ雨続きだったことを考えれば、つかの間の奇跡の晴れ間に感謝したいところなのだが、いささか強めの太陽光に登山を始める前からノックアウトされそうになっていた。住宅街の坂道に汗をして、額と首筋に汗をぬぐいながらふと後ろを振り返ると、いつもと変わらない神戸の風景がある。ビル群のすぐ向こうは海だ。さすがは“坂の町・神戸”らしい風景である。

ここも“町なか”のはずなのに、ずいぶん高低差を感じる。そう、関西を代表するこの大都市は極端に勾配があり、他地域の平野部にある中枢都市と比べると変わった地形の上に成り立っている。それは“南北に狭く、東西に広い”ということで、南には瀬戸内海、北には六甲山地があり、その間の東西に細長く延びる狭い領域に国内第7位の人口を擁する神戸市の核となるエリアが横たわっている。従って、大都会にも関わらず、海・町・山の距離がかなり近い。

古きよき信仰の道「旧摩耶道」をゆく

雷聲寺の階段を一番上まで登ると、すぐ右手に不動明王の石像が出迎えてくれる。ここからはじまる山道を「旧摩耶道(もとまやみち)」といい、古より現代に続く参道だ。樹林と急登の階段が入り混じる単調な道が続き、しばらく展望に恵まれず見どころに乏しい反面、静かな山歩きにはもってこい。そもそも山上のお寺に通じる道なのだから、落ち着いた気持ちで挑みたい。大都会神戸の喧騒から離れた反動だろうか、時おり行き交うハイカーとの会話がとても楽しい。

摩耶山を含むこの山域全体を六甲山地という。若き司馬遼太郎が“遭難”したことがあると告白した六甲山を盟主とする大きな山塊で、1961年7月号の『神戸っこ』という雑誌にそのエピソードが寄せられているのを読んだことがあった。東の宝塚市に出て命拾いしたとあったから、西側に連なる摩耶とは逆の方向に歩いたわけだ。そんなことが記憶にあって、ぼくは六甲摩耶あたりのことは知っていた。

学校林道分岐を経て、行者堂跡地で青谷道と合流し、やがて山上に大きくひらけた「摩耶山史跡公園」にたどり着く。今でこそハイカーたちの休憩場所として賑わっているけれど、その昔、ここは在りし日の天上寺が栄えた場所だった。摩耶山にはいくつかの“山道”があり、その中でも旧摩耶道はこの歴史ある寺院へと通じる“表参道”として通じていたわけだ。

史跡公園の先に、ようやく摩耶山の山頂がある。樹林に囲まれた静かな頂は、いまなお修験者が訪れる神域でもある。天狗岩なる磐座と古びた社があり、信仰の名残を感じることができる。しかしこの静かな山頂とは対照的に、頂のすぐ下にある展望地・掬星台は大いに賑わう。神戸の夜景写真の多くはここから撮られたもので、ケーブルとロープウェイがあるから観光客がとても多い。頑丈で大きな東屋には登山ウェアに身を包む人が目立つが、近ごろは“山メシ”だけを楽しむために、手軽にケーブルで上がってくる人が多いそうだ。

登山をせずにケーブルで一気に上がり、その節約した分を山上で過ごすランチの時間に充てる――なるほど、町と自然が近い摩耶山ならではの過ごし方、楽しみ方だと思う。

まるで天空の寺院、その名も天上寺

摩耶山頂と掬星台をあとに向かうのは天上寺。正式名称を「佛母摩耶山忉利天上寺」という真言宗の寺院で、その歴史は646年ととても古く、インドの高僧・法道仙人によって開かれた。のちに空海が奉じた摩耶夫人(まやぶにん)の像が由来となり、この一帯は「摩耶山」と呼ばれるようになった。ちなみに摩耶夫人とはお釈迦さまのお母さんのことで、ここが女人守護といわれる理由でもあったりする。

646年といえば大化の改新の翌年にあたるが、これまでの長い歴史の中で、昭和51年の火災による消失があり摩耶別山なる場所に“戻して”再建された。つまり、この地が「旧摩耶」だというわけだ。孝徳天皇、花山天皇、正親町天皇などの勅願寺という歴史があり、いまは深山に秘された山寺とは異なって、大空と太陽の下に開放された明い寺院だ。ここに立つと、神仏に隠し事などできるものではない――そんなことを悟り、素直な気持ちになってしまう。麓に広がる町を見守るような天空の寺の境内には花が多く、そして風がよく通る。本当に空気が柔らかくて優しい気持ちになる、そんなお寺だ。

山上のオアシス、穂高湖

天上寺から先は、これまた雰囲気がガラリと変わる。六甲全山縦走路の一区間「アゴニー坂」を下ると、観光客が足を延ばすことの少ないハイカーのオアシス「穂高湖」が待っているのだ。こじんまりとした人口湖であるものの、山上にこんなに静かで美しい水辺があるのかと、驚きとともに嬉しさがこみあげる。畔を囲む木々と一体化した水面の様子が上高地の大正池に似ていることから、この名が付いたといわれる。確かに、湖面に映し出された「シェール槍」を目にすると、そこに穂高連峰の姿を重ねてしまうのだ。

湖畔には遊歩道とテーブル・ベンチが整備され、レジャーシートを広げて“山メシ”を楽しんでいる光景もあちこちで見られる。小さいながらもいくつかの沢が流れ込んでいたのが印象的で、そんな風に水の集まる場所には人も集い、憩うものなのだなと、遅い昼食を摂りながらぼんやり眺めた。そういえば六甲は全域的に沢や水辺がとても多い。六甲山地は花崗岩質で、これをフィルターにろ過された水が美味しいと昔から評判だった。麓には酒の美味い灘があるし、六甲のおいしい水といえばピンとくる人もいるはずだ。水が豊かな山域であることは間違いなく、有馬温泉に代表される湯の名所でもあるのだ。

そんなわけで、帰りは“水”に導かれて沢を辿って下る。カスケードバレイと呼ばれる杣谷川沿いの登山道は、その名のごとく小さな滝の連続する谷筋。同じ六甲の山中には、20回渡渉することから「トゥエンティクロス」と呼ばれる谷道があるけれど、このカスケードバレイも何度か沢を渡るポイントがある。さしづめ“テンクロス”くらいは渡渉するよなと、ややアスレチックな雰囲気に心が躍った。

谷を流れる沢と滝の音、谷を拭き下ろす風の音に包まれながら歩くカスケードバレイは、かつて参勤交代のために作られた道でもあった。ついぞ使われることがなかったことから“幻の徳川道”ともいわれる、いささかマニアックな歴史トレイルだ。“こっち系”が好きな人にはたまらないだろう。ついでながらネタをひとつ挙げると、この徳川道の起点が石屋川駅の近くにある。興味があれば、そちらにも立ち寄って碑文を探してみるといい。

こうして“水”に縁を感じながらカスケードバレイをそのまま下った。長峰砂防ダムの先から住宅街となり、六甲川と合流して「都賀川」と名を変えた流れに沿ってさらに南下した。水道筋商店街東にある灘温泉に立ち寄るためだ。地元の銭湯といった風だが、柔らかい炭酸泉がとてもよく、ここまで歩いた疲れと汗を流す絶好の寄り道ポイントなのだ。湯上りのさっぱりした締めくくりには、やはりキンキンに冷えたビールだろう。水道筋商店街にはいい飲み屋が多い。地図を片手に一杯やりながら、この素晴らしきMAYAの登山文化の懐の深さを思い返す。網目のように張られた登山道を眺めて、次はコースを変えるか山メシをしに行こうと思うのだった。

文・写真 :低山トラベラー/山旅文筆家 大内征

この記事を書いた人

大内征(おおうち・せい) 低山トラベラー/山旅文筆家

土地の歴史や物語を辿って各地の低山を歩き、自然の営み・人の営みに触れながら日本のローカルの面白さを探求。その魅力とともに、ピークハントだけではない"知的好奇心をくすぐる山旅"の楽しみについて、文筆と写真と小話とで伝えている。
NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー出演中。著書に『低山トラベル』、『とっておき!低山トラベル』(ともに二見書房)、新刊に『低山手帖』(日東書院本社)など。NPO法人日本トレッキング協会理事。

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