道よし、眺めよし、姿よし 神秘の霊峰・伯耆大山とその麓を夏駆ける
低山トラベラー/山旅文筆家
大内征(おおうち・せい)
海上に浮かぶ長大な“神の山”
海に浮かぶ大きな山の姿があまりにも神秘的で、ぼくは思わず息を飲んだ。
もうずいぶん前のことだが、日本海沿いの街と道に神話や昔話の濃い山々を辿る車旅をしたことがある。ちょうど島根半島の西から東へ、出雲大社から伯耆大山(ほうきだいせん)に向かう道すがら“四十二浦”を巡っていた時のことだった。半島の東には美保関があり、灯台から馬着山(ばちゃくさん)まで軽いハイクを楽しめる道が整備されている。折しも爽やかな新緑の季節で、標高210mほどの山頂付近には心地よい五月の海風が軽やかに届いていた。ツツジの咲き乱れる五本松公園から下りるころ、ふと海に目を向けると、大山が凪いだ美保湾の海上にぼうっと浮かんで神々しい。残照に映える北壁は赤く染まり、東西に長大な稜線をなぞるように満月が静かに現れ……。この神懸かった光景に、ぼくはたまらず息を飲んだのだった。
折に触れて思い出す、まさに神の山たる大山の姿。出雲大社の主祭神・大国主大神は、大神岳とも呼ばれたこの大山の頂に立って国造りを行ったと伝わる。これまでに何度か登ったあの頂からの眺めは、確かにこの大地を隅々まで見通すほど大きい。次に登るなら別の季節がいいとチャンスを窺い、久しぶりに降り立った鳥取県大山町は、夏の匂いに満ち満ちていた。
大山寺集落から山麓ハイクへ
大山寺の御幸参道は、観光客に混じってハイカーらしい山の恰好をした人が目立っていた。夏休みを利用した合宿だろうか、ジャージを着た学生も多い。山麓の門前町の一角でアイスコーヒーを飲みながら、大山ナショナルパークセンターと大山自然歴史館で集めてきた地元の資料に目を移す。
登山をするなら、山麓の街道を歩いたり山間の集落を訪ねたりして、山をきっかけに地域そのものを味わいたいと思っている。まだまだ知らない日本のローカルを自分の目と足とで確かめる山歩き・街歩き、いわばフィールドワークを楽しむのだ。書籍や資料から集めた情報を元手に歩きはじめて、現地で出会う人と空間・話題を共有し、そこで聞いた話を頼りにさらなる行き先を決めていく。予定外の行動が増えるけれど、計画はほどほどに偶然の出会いに導かれる――これぞ旅の醍醐味のひとつだろう。
そんな旅を重ねる中で、登山が地域を学ぶ手段として非常に優れていると思うに至った。難しいことは考えず、高山の稜線に非日常を、その頂に絶景と達成感を求める登山も好きだけれど、山を通して地域を知る、地域を通して山を学ぶことが面白くて仕方がない。伯耆大山は明日登る。その予習をする気持ちで、初日は大山寺エリアに繰り出すことにした。宿で教えてもらった情報もたっぷり抱えて。
大山寺とその奥に鎮座する大神山神社奥宮までの坂道は、日本一長いといわれる700mほどの石畳で結ばれ、山中の神域によい風を通している。山の神仏が鎮まる場所は鬱蒼とした場所や秘められた山間谷間に多い印象があるけれど、ここは隠れるところもないほど明るく開かれている。隠し事などできる雰囲気ではなく、こちらも素直な心境をさらしてお詣りをすることになるわけだ。
大山寺は地蔵信仰が栄えた古刹で、天台宗によって隆盛を極めた。故に比叡山延暦寺との所縁は深く、ぼくの故郷・東北に数々の名刹を開いた慈覚大師もここを訪れたそう。そんなわずかな繋がりを見つけるだけで、途端に親近感がわいてくるから不思議なものだ。
その大山寺のさらに奥に鎮座する大神山神社奥宮は、大山の雄々しい山容をすぐ右手に見上げる場所にあって、権現造りの佇まいが素晴らしい。修験の山として深化したこの山で、山伏たちの遥拝がきっかけとなり、この場所に大きな社殿が設けられた。山谷に鍛えられた僧兵三千という大きな勢力を誇り、鎌倉・南北朝・室町戦国期と土地の諸将より尊崇を集め続けたという。
お寺と神社、その跡地。往時の痕跡があちこちに残り、仏さまと神さまが共存する神仏混交の名残を感じさせる。明日は「夏山登山道」で大山の頂を目指し、下山は「行者登山道」の予定だ。ということは、行者登山口でもあるこの場所に下りてくることになる。静かに手を合わせて、よい山旅ができますように、無事にここまで下山できますように――そう祈って、お詣りに訪れた子どもたちで賑わう広い境内でひと息をついた。
迫力の大山北壁を眺める展望地、寂静山と豪円山
大神山神社奥宮の脇からブナの豊かな散策コースがついている。静かな小径で、観光客の姿はあまり見られない。明日の登山を前にしたウォーミングアップを兼ねて、この素晴らしく気持ちの良い道をゆるりと歩く。すると、樹林のアーチの先に、大山寺を開いた金蓮上人の入寂の地「寂静山」があった。
開山地蔵のそばから見上げる大山北壁は屏風のように大きな絶壁で、人を寄せ付けない威厳と迫力に満ちている。一方で、ここから眺める湾曲の弓ヶ浜と低くたなびく島根半島には暮らしの様子が広がり、人の営みを感じられる開かれた雰囲気がある。今回は予定にないけれど、あっちの海岸線も歩いてみたいと目を細めてしばし眺めた。
寂静山の近くに、もうひとつ足を延ばしたい山がある。標高892mの「豪円山」という展望の山で、大山寺中興の祖として活躍した名僧・豪円僧正に由来する低山だ。見晴らしのよい山道の傍らには歴代座主の世代墓が並び、その先にコース最高の展望スポット「のろし台」がある。ここから大山の北壁は絶景中の絶景(冒頭の全景写真)。これを眺めるだけでも、わざわざ訪れる価値は大きい。
この一帯、もとはスキー場だろうか。鮮やかなグリーンの芝生が広がり、点在する建物の佇まいは外国の山岳リゾートのようだ。ノーマルヒルのスキージャンプ台まである。うっかり足を踏み出すと、途端にすべり落ちていきそうな急勾配で、その先に真っ青な日本海とさらなる壮大な伯耆大山の山容がどーんと広がっている。なんともはや、圧巻である。ギザギザの稜線に雲が沸き立ち、明日はあそこに登るのかと気持ちも高まる。
風の音だけの静かな山頂で、豪円地蔵に並んで腰掛ける。耳を澄まして風を感じながら、ここまでの山麓ハイクのことを思い返した。大山寺から大神山神社奥宮、そして寂静山から豪円山まで、自然の営みと人の営みに触れ歩く楽しいコースだった。ハイカーでなくとも気軽に歩ける整備されたトレイルでありながら、圧倒的存在感の伯耆大山まで我がものにできるのだから、これはもう言うことなしである。
気がつけばすっかり傾いた太陽が、上空を覆いつつある雲と島根半島との間に沈みかけていた。明日は晴れるか、曇るのか。実はちょうど大山町に入った日に、このあたりを台風が通過したばかり。予報によると、台風一過の夏晴れは明日まで続く。今夜は地元のクラフトビールを飲んで、早々と寝ることにした。
空と海と大地の圧巻の眺め、伯耆大山・夏山登山道
夏山の単独登山には、いささか思うところがある。静かな山歩きをして内省に励んだり、他人にペースを乱されることなく自分のペースで歩ける心地よさもあって、ソロハイクとも呼ばれるこの登山スタイルを選ぶ人が増えているという。かく言うぼくも、独りで歩くことが多い。
配慮したいのは、万が一の時にリスクがあるということ。ここ数年、単独ハイカーの遭難事故が顕著で、そういうこともあって登山届が義務付けられる山が増えている。ここ伯耆大山も登山口付近に登山届を提出できる場所がいくつかある。設置された提出用紙に鉛筆でその日の登山計画や必要情報を書き込んで投函するというものだ。義務の有無にかかわらず、登山届けを出すということはマナーのひとつと心得たい。どんなコースをどのように辿って、なんという場所に何時に到着するのか。計画の再確認にもなるし、習慣化しておくととてもよい。
早朝のモンベル大山店で登山届をポストに投函し、これから登る大山の雄姿を見上げながら準備運動をはじめる。十分にほぐれた身体を朝からフル稼働させて、次第に急登となる登山道で快調に高度を稼いでいく。この日は平日にも関わらずハイカーが多く、道中は何人も追い越しては再び何人かに追い越されるという状況。お互い同じようなペースだから、結果的に同じ人と何度も挨拶を交わすことになり、顔を見合わせて笑い合う。誰もが経験する“登山あるある”である。
「いやあ、デッドヒートですね!」などとふざけあう仲になった男性がいる。福岡からやってきた単独のハイカーだった。山を始めてまだ日が浅く、コース計画やペース配分など実践しながら勉強中なのだという。ぼくの持ち物やこれまでの経験など、ずいぶん細かく質問を受けた。自分自身が山をやりはじめた頃のことを思い出して、とても懐かしい気分にくすぐったくなりながらも、快く答える。
ひとりで歩くのも好きだけれど、やはりこうして誰かと会話をしながら山を歩くのが楽しい。気がつけば六合目を越えていた。ここから山頂まで、絶景が途切れることがない。振り返る度に麓の大山町が海まで裾野を大きく広げていて、その向こうに美保関が見える。切り立った北壁は、まるで天に届くようだ。
吹き出す汗、それをすぐさま乾かしてくれる心地よい風。この繰り返しによって、登山という激しい運動に適した身体にチューニングされていくのがわかる。足の運びによい手応えを感じながら「もうすぐ山頂ですよ!」と、汗だくになる福岡のハイカーを励ました。
急な登りの続いた九合目から先は、一転して地上の楽園となる。木道が続くなだらかな稜線は山上の草原へと続き、高山植物がハイカーたちを励ます庭園のようだ。眼前に迫る厳めしい北壁と、小さく可憐な花々との甚だしいギャップが印象的で、それがなんとも大山らしい山岳風景を作り出している。
天に向かって続く木道のゴールは登山者のテラス。現在、伯耆大山の山頂(弥山)は工事中で、手前の仮設展望台をゴールに数多のハイカーが憩う。岡山県や島根県へと続く低山の山並みが果てしない。大国主大神が見渡したというこの一大パノラマに麓の大山町と美保湾を眺めて、あのとき息を飲んだ伯耆大山と満月の姿を思い出した。あの巨大な“神の山”に、いま小さな粒のような自分が立っているのだと感慨にふける。
ところで、ぼくの夏山の定番は冷たいコーラだ。山頂でグビリとやる炭酸が最高なのだ。山小屋泊ならいざ知らず、下山をする場合はビールは控えるけれど。乾いた身体にしみ込む炭酸は言葉にするのが難しいくらい美味しくて、表情がそれを物語っていたのだろう。山頂の売店で同じものを買い求めた福岡のハイカーも、さっきまでの苦悶の表情がウソのように炭酸で弾けそうな顔をしていた。
六合目避難小屋の先まで下りると、来た道をピストンで戻るという福岡のハイカー。固く握手をして別れ、ぼくは行者登山道にコースをとった。ブナの大木が林立する中、木で補強された急な階段が延々と続く道で、ここを逆に登ってくるのは相当きつそうだ。案の定、ずっと下からやってきたカップルの「山頂はまだですかね?」というか細い声音と表情にその辛さがよく表れている。この急勾配、登りよりは下りで利用した方が断然に良い。
木々の隙間から弥山に連なる剣ヶ峰、三鈷峰の鋭い山容が見えてきた。やがて絶壁の崩落から続く夥しい石が堰き止められている大堰堤に出ると、そこはまるで干上がった大きな沢のようになっていて、ここから仰ぎ見る大山北壁がむき出しでますます荒々しい。豪円山から見ても寂静山から見ても、飛び抜けて迫力のあったこの北壁を眼前に独り、もはや言葉が出てこない。急に、さっきまで一緒だった福岡のハイカーが恋しくなった。ちょっと寂しい気分を引きずりながら、道は再びブナの巨木を縫う。少し歩くと、見覚えのある場所に出た。昨日訪れた大神山神社奥宮の境内だった。
旅の締めくくりは「伯耆富士」の遠望で
充実の旅のクライマックスは、ちょっと離れた低山から眺める大山の遠望と決めていた。登った山とその山麓をいっぺんに眺めて、全体像を目に焼き付けておきたかったのだ。
イザナミノミコトの陵墓だと伝わる母塚山は、伯耆大山のほぼ真西に位置する。富士山にそっくりの美しい大山の山容を眺められる山として知られている。車で展望台まで上がってきたものの、朝から大山を覆う夏雲がなかなかとれなくて、出発の時間を気にしながらもギリギリまで待つことにした。美しい田園の中に小さな山が島々のごとく点在する中で、山麓だけを見せている大山。うーん、いよいよ帰りの時間だなと立ち上がりかけた時、わき立つ雲が一転して割れはじめ、その割れ目から「伯耆富士」の別名をもつ末広がりの山容が不完全ながらも現れた。あの山頂に登ったことが信じがたいほど大きく、逞しく、そして美しい。
東西に長大な大山は厳かで男性的だけれど、ここ母塚山から眺める大山は優美で女性的。あの日、美保関から見た“神の山”とは違った、富士の名に恥じない優美な姿を目に焼き付ける。もうすっかり時間が押してしまっていたけれど、そんなことは小事だとばかりに、ぼくはもうしばらくここで見惚れて過ごすことにした。
文・写真 :低山トラベラー/山旅文筆家 大内征
<登山コース>
1日目:大山寺集落→大山寺→大神山神社奥宮→寂静山→のろし台→豪円山→大山ナショナルパークセンター【参考コースタイム:約3時間】
2日目:モンベル大山店(登山届)→夏山登山道→伯耆大山→石室→行者登山道→大神山神社奥宮→モンベル大山店【参考コースタイム:約6時間】
3日目:母塚山【展望台まで車】
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