修験の痕跡と巨岩・奇岩を巡る 摩訶不思議低山「岩石山」探訪記

フリーライター

米村奈穂(よねむら・なほ)

村長さんと山登り

勇ましい山名を聞いた後、標高を確認し二度見してしまった。標高454メートル。その山の名は岩石山。 平清盛の命令により岩石城が築かれた山城跡である。その名の通り、山中には巨岩・奇岩が点在するという。標高を聞き、なんとなく気持ちも緩んだ。

しかし取材となると、あっという間に登れてしまったらどうしよう。簡単に登れてしまうと、単刀直入に言ってネタ不足の恐れがある。それは困る。 そこで、役場にこの山に詳しい方の案内をお願いした。すると、「それじゃあ、村長がいいでしょう」という思わぬ展開に。村長と山登り。私の山人生で初めての試みだ。標高で緩んだ気持ちがキュッと引き締まる。

岩石山は、福岡県の東部にある添田町と赤村の境界にまたがる。添田町は日本三大修験場として栄え、国内屈指の霊山といわれる英彦山の玄関口。赤村には、その英彦山からの清流をたたえた今川が流れる。九州で支配を広げた平清盛は、英彦山や太宰府を守るため、各地に山城を造らせた。ということは、山中では、山城の跡だけでなく、霊山である英彦山の影響も垣間見られるかもしれない。


赤村側から望む岩石山

山城と修験の山

待ち合わせ場所の赤村役場に着くと、森林組合のキャップに作業着姿の道廣幸(みちひろゆき)村長と、地域おこし協力隊の竹田美理(たけだみさと)さんに出迎えられた。道村長は赤村生まれ、赤村育ち。竹田さんは、アウトドアメーカーに勤務経験のあるバリバリの山の人。二人の笑顔に今日の裏テーマである「村長と山登り」の緊張がほどけていく。

岩石山の登山口は、西側の添田町と東側の赤村の両側にある。今日は、赤村側の登山口から登り、添田町へ下るルートを取る。昔の人々と同じように、山を越えて街をつなぐのだ。赤村の登山口は、2つの街をつなぐ岩石トンネルのそばにある。赤村側から岩石トンネルを目指し、トンネルの手前にある岩石山の道標に従い左折するとすぐに駐車場がある。

駐車場から3分ほどで登山口。登山地図の案内板がある

登り始めから急登だ。城下町であった添田側に比べると急峻な赤村側は、山城の武器庫や食料庫のような役割を担っていたという。ほどなくしてすれ違った登山グループの一人は、下山時に転んでしまったと話していた。

かつて岩石城は「豊前一の堅城」とも謳われた。築城にこだわりを持ったと伝わる戦国武将細川忠興も「百人兵を置けば十万の兵を防げる」と唸ったという。注意して足元ばかり見て登っていたが、村長に促され顔を上げると、大きな岩が次々に現れた。村長の話では、山麓には今でも昔から続く石材屋があるのだという。

しばらくすると、苔むした巨岩と、ツタの絡まる木々に覆われた岩石不動明王の前に出た。岩から細い水の筋が落ちる。ここは、山伏が加持祈祷を行なった場所と伝わる。時折、祈祷をする人の姿を見かけるそうだ。鳥居に掛けられた真新しいしめ縄の様子から、地元の人に大切にされている場所だということが分かる。

苔むした岩に囲まれる不動明王。緑と神聖な空気に包まれる

巨岩群を写真に収めている間、村長は、まだ若くて小さいアケビがたくさんあると、アケビに夢中の様子。ツルの太さが親指くらいにならないと実は付かないそうだ。村長は、学生の頃から木炭にする木を切りに山へ入っていたのだという。昔はチェーンソーもなかったと大変そうに話してくれた。

生活の糧を得るために山に入っていた人の目線は、登るだけ、植物を鑑賞するだけの我々とは違い、山を豊かに捉えていて面白い。この先は、不動明王の前を通って左へ進む。右手に進まないように注意。

巨岩見学ツアーの始まり

そんなことを話しながら登っていると、あっという間に、「落ちない石」と呼ばれるチョックストーンが目の前に現れた。チョックストーンとは、大岩の溝に挟まれた石のこと。村では、受験を控えた中学3年生をマイクロバスに乗せて、ここまで連れて登ったこともあるそうだ。これまでも、山中でいくつか見たことはあったが、挟まれた石がこんなに大きいものは初めてだ。さすが岩石山というだけある。

巨大な石が巨大な岩に挟まれる「落ちない石」。ここをくぐり抜け先へ進む

次に現れたのは、針の耳。おそらく修験道の行場として使われていた場所と思われる。巨岩の間の細い隙間を通って進む。この隙間が見た目以上に細い!ザックを下ろし進むが、頭が挟まれそうになりやや不安になる。MRIが苦手な人は無理かもしれない。巻道もあるのでご安心を。

針の耳。恐る恐る中を覗き込み…

ザックを下ろして、体は横に。これも修行のうち

縮尺感覚が揺らぐ景観が続く

その後も次々と巨岩が現れ、山名通りの光景が連続する。途中、東屋のある休憩所の先で、村を見下ろせる場所に出た。箱庭のような赤村が見える。村長の口から、見下ろせる家の家主の名前がポンポンと出てくる。

自分の住む土地を俯瞰して見られることはそうない。折り重なる山々の間に、色づいた豊かな田畑が広がる。人が住みやすい場所とは豊かな土地なのだということが見て取れる。村長の家も見える。家の裏山には初日の出を見に登っていたそうだ。住む街を見下ろせる山に登れる幸せを思った。

東屋の先で、樹間から山々に囲まれた豊かな赤村を望む

巨岩見学ツアーは続く。次は八畳岩と呼ばれる、平坦な広い岩が現れた。岩の上に登ると、福智山系や、削られて形を変える白い香春岳、遠くには北九州空港も見える。村の小中学生が遠足で登った際、必ずこの八畳岩の上で、集合写真を撮っていたそうだ。その名の通り、8畳弱はあると思われる広さ。イ○バの物置のCMを思い出しつつ、この上に収まる人数のクラスが羨ましく思えた。

八畳岩の上から福智山系を望む

その先でも、英彦山の流れと思われる梵字の掘られた梵字岩、晴れた日には周防灘まで見渡せるという国見岩など、名前の付けられた巨岩が並ぶ。山頂の手前で、これが山の中かと思うくらい平坦な道に出た。

ここは曲輪だったと伝わる場所で、軍馬が養われていたことから馬場跡と呼ばれる。山城が、地形を利用した自然の要塞であったことがよく分かる。戦国時代、秋月氏が支配するこの城を秀吉軍が攻めた際には、城から300頭もの牛馬が放たれたという。

馬場跡。山の中とは思えないなだらかな道に、思わず深呼吸する

途中、ワイヤーで囲まれた場所があった。ウスキヌガサダケが自生しているそうだ。レースのスカートを広げたような姿から、キノコの女王と呼ばれる。見頃は7〜8月頃。発見した登山者の連絡により、周囲を柵で囲い守られている。もし発見しても、決して柵の中には入らないように見学しよう。

山城跡に出勤簿のある山

巨岩を見ながら登るうちに1時間ほどで山頂に到着した。山頂は見張り台の跡で、立派な展望台が建てられている。展望台に登ると、ボコボコした英彦山山系の稜線が綺麗に見える。

山頂から、英彦山を間近に望む。あの山からこの山へ、山伏は修行にやって来たのだ

山頂の展望台に登れば、福岡の西にそびえる背振山系まで見える

山麓が先ほどより広く見渡せる。赤村の中心を蛇行する今川。赤い屋根の小学校。帰りに寄ろうと思っていた特産物センターも見える。村長に話を聞いているうちに、村が身近に感じられるようになった。これからは、登るだけじゃなく、山麓のことをもっと知ろう。そうして、あちこちにまた訪れたくなる場所を持とう。

道村長と地域おこし協力隊の竹田さん

本丸跡は、山頂を添田側に少し下った所にある。本丸のそばでは、古井戸や、堀切、柱穴と呼ばれる柵が立てられた跡や、楔の跡がのこる楔岩など、山城の名残を見ることができる。山頂から10分ほど下ると、奥の院のある開けた場所に出た。

楔の跡が残る楔岩

ここには、テントが張られた休憩所が設けられていて、その壁面にはぎっしりと名札が打ち付けられている。よく見ると、登山回数順に掲示されている様子。中には9000回以上の人も。その一番端に、回数ではなく、「満願」と書かれた札がある。数年前、新聞に掲載されていた川崎エミ子さんだ。2017年の西日本新聞によると、当時で御歳86歳。ほぼ毎日、1〜2回登り、36年間で2万回に達したのだという。「山を登り始めて一切病気はしていない、山は自分の病院」と言われるそうだ。テントの側には、友人たちが記念に立てた看板が立つ。ということは今年で89歳。今でも登られているそうだ。今日会えなかったのが残念でならない。

村長は、あの人もいる、この人もいる、あの人は何回かなと、名札を嬉しそうに眺めていた。

急な雨に嬉しいテント内の休憩所。この中にずらりと名札が並ぶ

添田公園に下山すると聞いていたが、もうそろそろかなと思っていると、突然立派な天守閣が現れた。山城を下山してきたはずなのに、最後に山城??と思ったが、岩石城を一部模した添田町美術館だった。我々はここで車にピックアップしてもらったが、歩いて登山口に戻る人もいるようだ。下山口の添田公園から赤村登山口駐車場までの距離は約2.8km、徒歩約60分。

山城から下りて来たはずなのに、突然眼下に天守閣が現れ驚く

下山口の添田は、登山口の赤村に比べると、随分都会に見えた。やはり城下町である。しかし、山城の食糧庫は赤村。どちらも城を支え、城に守られたのだ。昔の人々と同じように山越えをして街をつなぐことで、山城の役割を体感できた気がした。

山麓にどっぷり浸る

帰りは、山の上から見えていた赤村特産物センターに立ち寄った。目の前には、英彦山を水源とする今川が流れる。今川上流は、ホタルも見られるくらいの清流だという。道の駅と思っていた赤村特産物センターは、話を聞いてみると、元は朝市から始まったものが、ログハウスとなり、今では立派な施設を構えるまでに至った、生産者で造り上げた物産館だった。

「村内で作られたものしか扱わない」をポリシーに経営する施設内には、総菜や餅、パンを作る加工所があり、食事のできる休憩室も隣接している。現在は250人ほどの生産者が登録していて、毎朝新鮮な農作物が届けられる。

様子を見ていると、元気な年配の生産者が入れ替わり立ち替わり出入りする。施設内はほぼ女性で切り盛りされ、みんなテキパキと楽しそうに働いている。山の帰りに、「直産品」などと見かけると、立ち寄るようにしているが、そういった施設に、物を売るだけではない、村を元気にする役割があることを知った。

水が綺麗な赤村で採れる野菜とお米はおいしい

明日もゆっくり山麓を巡ろうと思い、今日は「源じいの森」でテント泊をすることにした。すっかり夕方になってしまい、急いでキャンプ場に向かい後悔する。

いつもの登山の感覚で、一人で大型ザック一つ背負って来てしまった。平日なのに周囲は楽しそうに夕飯時を迎える立派なテントを張ったグループばかり…。若干視線を感じる。数年前も、英彦山に登る前泊で利用し、便利だなと思ったのだが、最近のキャンプブームで来場者が増えているらしい。この雰囲気を崩さないように、紅葉の涸沢にテントを張るくらい肩身の狭い感じで山岳用テントを張った。

しかし、いろんなテントや、キャンプスタイルを眺めているうちに、なんだかこちらも楽しくなってきた。調子に乗って、焚き火台2台を駆使している隣のテントに声を掛け、写真を撮らせてもらい、ステーキにコーヒーまでご馳走になった。キャンプ場では、遠くの親戚より近くの他人である。

話を聞いてみると、キャンプの達人の上司と、キャンプ初体験の部下だった。上司の転勤で、北九州と長崎とに別れてしまったけれど、今日はこのキャンプ場で待ち合わせをしたのだという。聞くまでもなく、全ての言動が、上司と部下のキャンプだったが、きっと働きやすい職場なんだろう。上司はここの常連らしく、「最近は山岳用テントでソロキャンプの人も多いですよ」と聞いて安心した。

夜から朝まで、焚き火の香りが途切れることはない

このキャンプ場のよいところは、すぐ側に「源じいの森温泉」があるところ。温泉に入り、すぐに寝袋に潜り込むと、気付けば朝だった。川に浮かぶカモを眺めながらコーヒーを飲み、利用時間ギリギリの12時までゆっくりすることにした。隣のテントからはまた、焚き火の香りが漂ってきた。

今回の登山ルート

今回の登山ルート。岩石トンネルの赤村がわ入口手前の登山道から入り、添田公園へと抜けるルートを歩いた。YAMAPの該当地図はこちら

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この記事を書いた人

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米村奈穂(よねむら・なほ)

幼い頃より山岳部の顧問をしていた父親に連れられ山に入る。アウドドアーメーカー勤務や、九州・山口の山雑誌「季刊のぼろ」編集部を経て現職に。

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