旅のトリビアの宝庫、庄原・奥出雲
神と人の営みを、神話の息づく低山に訪ねる
低山トラベラー/山旅文筆家
大内征(おおうち・せい)
広島県北東部の庄原から島根県東部の奥出雲にまたがる山域には、記紀神話の舞台となった神秘の低山が数多い。目に飛び込む山渓の風景やあらゆる自然の現象に精霊が宿っているような気がしてしまうのは、神々の物語に事欠かないこの地域ならではのパワーを、ぼくが素直に受け取っているからなのだろう。
低くたなびく龍のような雲が、奥出雲の里山を這うようにして流れゆく風景や、比婆山(ひばやま)の深く静かな森に音なく霧が立ち込めて、あっという間に白く包みゆく情景は、まさに神秘そのもの。雲に遮られたと思った太陽が薄く輪郭を現わし、瞬く間に船通山の頂を照らしゆく光景は、神さまによる特別な演出なのかもしれない――と、本気で思う。
そんな息を飲むような美しい体験が、このあたりの山渓にはある。神話の舞台に思いを馳せて、手繰り寄せたお気に入りのザックに旅支度を整えよう。旅の拠点は庄原市と奥出雲町。知的好奇心をくすぐる数々の神話と、この山域ならではの神秘の絶景を求めて、比婆道後帝釈国定公園を目指す。そこに待ち受けるのは、水と渓谷が美しい帝釈峡、国造り神話と深くかかわる比婆山と船通山、そして松本清張の『砂の器』で知られる亀嵩の霊峰・玉峰山だ。
日本五大峡・帝釈峡
渓谷、山道、湖……贅沢な“ぜんぶ入り”を愉しむ
その旅は、分水嶺から始まった
庄原市の中心部から帝釈峡(たいしゃくきょう)に向かう道中で、思わぬ発見をした。どの方角から見ても三角形に見えることから「日本ピラミッド」と呼ばれる葦嶽山(あしたけやま)の麓を過ぎたあたり、ちょうど中山峠に差し掛かるところで、ふと「分水嶺」と書かれた看板を発見したのだ。どうやらここは、瀬戸内海に注ぐ高梁川(たかはしがわ)水系と日本海に注ぐ江の川水系の分水嶺らしい。
これから歩く帝釈峡には、高梁川の水系に属する帝釈川が流れている。この看板を見て、ぼくはなにか幸先の良さを感じた。折しも空を見上げると、出発時はいささか不安だった空模様が、いまは少し青空を覗かせている。
分水嶺とは、雨水が異なる水系となって流れる境界(分水界)のことであり、特にその分水界そのものとなっている山のことをいう。ぼくなりに表現するなら、「あらゆる生き物の命をつなぐ清水を、異なる四方の里に分け与えてくれるひとつの山」のこと。そういう山の東西南北には人が集まり、文化が育まれ、賑わいがあるものだ。
渓谷歩きから山越えまで
山旅好きが日がな一日遊べる“ミックストレイル”
東に太平洋を臨む宮城県で育ったぼくにとって、太陽は海(太平洋)から昇り、山(奥羽山脈)へと沈むものだった。そして川は、その太陽が昇る東の方角に向けて西から流れるのが当たり前のこと。ところが初めて日本海側の山形県を訪れた時、川が西へと流れていることに気がつき、ぼくは大いに違和感を覚えた。さらには太陽が山(奥羽山脈)から昇って海(日本海)へと沈むことも、大いなる不思議。そんな“大発見”をした夜は、子どもながらに興奮を覚えたもので、夜明けまで寝付けなかったことを今でも鮮やかに覚えている。
あの大発見に感動した子どもの頃の原体験を思い出しながら、帝釈峡に向かう“大人”のぼくがいる。ここでは、太陽は山から昇って山に沈むのだ。そして川は、南北に流れている。そんな何気ないことに気がつくだけで、今日はいい発見と出会いがありそうだと心が躍る。
*
中山峠に水源をもつ水は帝釈川となり、いま目の前を流れている。全長18kmに及ぶ長大な渓谷を「上帝釈エリア」と「神龍湖エリア」とで繋ぎ歩くトレイルが、抜群に楽しい。
スタートは上帝釈エリアで、渓谷歩きから。苔生す岩壁に力強く色彩を放つ樹々が茂り、その間を美しい清流が縫う。ここは道がよく整備されているから、軽装の観光客や家族連れも多い。
「どちらまで行かれるん?」と声をかけてきたのは、犬の散歩をしていたご夫婦だった。隣町からよくお出かけになるそうで、いかにも山歩きをする恰好のぼくを見るなり「もしや神龍湖まで歩くのかと思って!」と意外な表情。しかしその予想が当たり、驚いていた。
観光で訪れる場合、その神龍湖までは車で移動するのが一般的だそうだ。しかしそこは山の旅人、当たり前のように歩いて訪れる。そんな会話を地元の方と楽しんでいると、正面に帝釈峡の象徴とも言える「雄橋」が現れた。
いやはや、これは見事な自然の造形だと、言葉を失いしばし見上げる。
渓水の浸食の力でできた“神の橋”と呼ばれる天然の造形は、長さ90m、幅19m、川からの高さは40mもある。これを見たいがために、わざわざ訪れる人も少なくない。橋のたもとで水遊びをする人あり、シャッターを夢中できっている人あり、ただただ口を開けて見上げる人あり。お散歩に訪れたご夫婦は、ここを折り返し地点にして駐車場へと戻っていった。地元の方にとっては、変わらぬいつもの風景なのだ。
この先の「かもじ橋」から奥は渓谷道を歩くことができず、迂回路として中国自然歩道を登ることになる。体力と装備を要する急な山道だけれど、登山を嗜む人なら問題ないだろう。湖面に架かる鮮やかな深紅の神龍橋まで、およそ60分強の道のり。
途中、里山特有の“さまざまな用途の道”があり、どの道を行くべきかでいささか頭を悩ませるかもしれない。そんな時にはYAMAPの地図と現在地確認が非常に有効だ。いざというときに役立つスマートフォンだから、旅先では常にバッテリーに気をつけておきたい。
神龍湖に来たら遊覧船ははずせない!
神龍湖は人造湖とは思えないほどに自然景観として馴染んでいる。入り組んだ断崖は大迫力で、四季を通して絶景が楽しめることで大人気だ。特に紅葉と雪景色はかなりの評判で、神龍橋・桜橋・紅葉橋の3つの赤い橋を通って湖をぐるり散策するコースは美しいことだろう。しかし上帝釈から歩いてきたハイカーには、ぜひ遊覧船を体験してもらいたい。これが非常に楽しいのだ。
うねるような湖面は上空から見下ろすと龍の如しで、その“胴体”を船でなぞるように周遊する時間は40分ほど。船上で窓を開け放ち、見事に切り立った岸壁を眺める。そこに満々と湛えられた湖水は、今朝発見したあの分水嶺から流れ、いまぼくと繋がっているのだ。そう思うと、なんだか感慨が深い。
渓谷を歩いて、山を越えて、湖までやって来て、そして船にも乗って……ミックストレイルがとても楽しい歩き旅。帰り際には、帝釈峡の成り立ちや動植物、歴史文化を学ぶことができる「時悠館」に立ち寄ろうと考える。展示物もさることながら、ここは施設そのものの建造と立地が素晴らしいのだ。
湖面を滑る船内に、さわやかな午後一番の風が吹き抜けた。歩いて火照った頬を、少し冷っとした空気になでられる。日がな一日まるっと遊べる帝釈峡、最高ではないか!と、高まる気持ちに後押しされて、来た道を“ピストン”して戻ることにした。
この山旅のルート
この山旅のルート。帝釈峡から探勝歩道を歩き神竜湖をピストンするルートを歩いた。湖上についたトレースは遊覧船によるもの。YAMAPの該当地図はこちら
イザナミの陵墓・比婆山
稜線を包む森と雲上のトレイルに魅せられて
国道の風景から、山旅気分は上々!
朝一番のひんやりした空気が気持ちよくて、運転する車の窓を開け放つ。きのう、帝釈峡で受けた船上の風を思い出しながら、国道183号を比婆山に向けてひた走っていると、高地区に入る川西橋で一気に視界が広がった。晴天の下、思わず「わあ!」と声をあげるほどに抜けた爽快な景色のおかげで、ぼくの山旅気分はぐぐーんと高まっていく。
遠くまで連なる低い山々が西城川の右岸と左岸を挟んでいる、美しい谷戸(やと)の風景。地元に暮らしている人にとってみれば、単なる「日常」に過ぎないだろう。しかし、他の土地に育ち暮らす人にとってみれば、旅先の風景はすべて「非日常」なのである。だからぼくにとっては、ふと目にした道すがらのワンシーンも、旅を楽しむ大切な要素だったりする。
西城川に並行する「183」は、どこまでも真っ直ぐ伸びている。この道を進めば、やがて“イザナミの陵墓”と言われる伝説の山、比婆山に着くのだ。そう思うと、この道と同様に気持ちまでもが真っ直ぐにピーンとしてくるというもの。やや緊張感をもって、ぼくはハンドルを握り直した。比婆山は、もう間もなくだ。
晴れ、霧雨、そしてまた晴れ
神々の歓迎を感じながら歩く比婆山
比婆山登山口のひとつ「ひろしま県民の森」には、平日にもかかわらずたくさんの車が停まっている。さすがは人気の低山だ。駐車場を出て、気持ちのよい陽光が差し込んでいる森の中から出雲峠に向かって歩き始めた。文字通り、この峠の向こう側は奥出雲町になる。
市境に沿って歩くブナの道に入り、気がつくと、この一帯を霧が立ち込めてきた。音もなく森のすべてを覆ってしまう真っ白な霧に、さっきまでの陽射しはどこへやらと思わず嘆く。とはいえ、こんな神秘的な森も、山旅の醍醐味のひとつではある。ここはイザナミの眠る山であり、神話の舞台なのだ。烏帽子山を経て比婆山の頂(御陵)に近づくにつれて、ますます霧は深くなっていった。ただならぬ雰囲気だ。
これも山に歓迎されている証だろうと前向きに考えながら、晴れていれば見えるはずの名峰・伯耆大山に思いを馳せる。すると、急に眼前を太陽が照らした。ちょっと眩しいくらいの強い陽射しは、数メートル先に密集する樹木に当たっているようだった。
光に導かれるようにそこへ行くと、小さな祠がある。ついさきほどまで立ち込めていた霧の名残がキラキラと眩しい。なにやら“気配”を感じたぼくは、正面から向き直す。するとそこに、巨木に囲まれた磐座――イザナミの陵墓――が、鎮まっているのだった。
比婆山は古事記においてイザナミを葬ったとされる山で、1264mの頂は、とても穏やかな空気に充ち満ちている。頂と言うけれど、ピークを明確に認識することができないほどに広くなだらかで、その中心に樹齢千年を超えるイチイの老木が七本と、それらに護られた磐座があるのだ。太陽と霧の競演はとても幻想的で、どうやら本当に“歓迎”されているような優しい光の雰囲気に、心は穏やかな気分になる。
ふと、足下にストーンペイントを見つけた。この近隣にある他の山でも似通った石を見かけたけれど、きっと同じ人が作ったものだろう。神話時代から続く厳かな雰囲気の山中に発見した、いまを生きるハイカーの洒落っ気。ぼくは思わず笑みを浮かべ、この神聖な頂を後に、池ノ段へと向かった。
絶景待つ雲上の稜線
池ノ段から立烏帽子山を周回する
ここからは、ブナとイチイの樹林をゆく。
濃密な樹木の海に潜ったかのような森の中を歩いていると、白く五枚の花弁をつけるウメバチソウを観察している地元のハイカーに出会った。日当たりのある湿地に生える低山帯から亜高山帯の植物で、8月~10月に見られる花だ。この花が盛る頃、山上では花の季節から紅葉の季節へと次第に移り変わっていく。そんな話に始まって、地形や地質、たたら等の文化などなど、この山の話は尽きることがない。本当に山好きには博識な方が多いと舌を巻く。
池ノ段の稜線に出ると雲が早く、思うように周囲を眺めることができない。それでも遮るもののない360度の頂にいるのだから、過ぎゆく雲の間隙のわずかな眺めをとらえて、心の山座同定を想像して楽しむのだ。もう少し季節が後ならば、ここは最上級の錦秋となる。来たる山上の楽園を想像しながら、立烏帽子山を経て山を下りた。
下山をしてからの帰り道、比婆山の南の登山口にあたる熊野神社に立ち寄った。ここは竜王山から立烏帽子山、そして池ノ段を経て比婆山へと続くミドルルートの登山口でもある。その“山道”は“参道”でもあり、力の漲る杉の巨木が立ち並ぶ神域だ。
この熊野神社はイザナミを祀る一ノ宮にはじまり、二ノ宮と三ノ宮が山奥へと続いていく。三ノ宮は“黄泉”を表すそうだから、この先はまさしくイザナミのいる黄泉の世界への入口なのだろうと想像が膨らむ。山に入らない人にとっては、ここから比婆山を遥拝する場所でもあるそうだ。
ぼくはそっと目を閉じて、さっきまでいた比婆山上のイザナミのことを思いながら、自然に歓迎された山旅と無事の下山に感謝をした。
この山旅のルート
この山旅のルート。県民の森スキー場から出雲峠を経由し、烏帽子山を経て比婆山へ至る周回ルート。YAMAPの該当地図はこちら
スサノオ降臨の地・船通山
登ってよし、下りてよし、これぞ楽しい名低山
手軽で楽しい低山ハイクを楽しもう!
とにかく好きでたまらない低山が、日本各地にいくつかある。船通山はその一座で、奥出雲町に来ることがあれば、たびたび足を運んでいる。比婆山で触れた神秘の気配は、ここ船通山でも感じられるだろう。なにしろスサノオが降り立ったと伝わる山なのだから。
ここに水源をもつのが、出雲平野と宍道湖を貫いて日本海へと注ぐ斐伊川だ。古くから暴れ川として知られ、四方八方に氾濫する様子は“八岐大蛇”に例えられるほど。下流で見ると大きな川だけれど、源流に近い船通山では、まだまだ小さな“蛇”だ。
鳥上滝コースの登山道は、そんな小さな沢筋の上を何度も渡渉する。水に洗われた石段に出くわす度に、履いてきた登山靴の防水機能が心強い。沢あり岩あり樹林ありの表情豊かな山道は、歩いていて楽しくなってくる。やがて岩を割くように流れ落ちる鳥上滝を最後に水音から離れ、亀石コースとの静かな分岐まで来ると、山頂はもう目の前だ。
あっという間の軽登山だけれど、山頂の眺望のスケールは軽くはない。まるで大きな山に登ってきたような気分にさせてくれるほどに見事な眺めなのだ。芝の広がる山頂には天空の鳥居と祠があり、それが幻想的な雰囲気を醸し出している。初めてこの山を登った時、ぼくはどこか別の世界――もしかしたら神話の世界――に足を踏み入れてしまったような錯覚を覚えたものだ。
ところで、別名を「鳥髪の峯(とりかみのみね)」というこの山は、スサノオが天から降臨したと伝わる。退治した八岐大蛇の尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得た伝説を示す碑は、その神話が由来となっているもの。それを仰ぎ見ていた次の瞬間、雲に隠れていた太陽が、ぱーっと山頂一帯を照らした。
雲の早い流れに目が回りそうになる。かと思えば、ここ山上の別世界で悠久の物語を想像する時間は、ゆっくりと流れていく。至福のひとときをあますことなく過ごしたいけれど、本格的な秋を前にした冷たい風で、気がつけば身体を冷やしてしまっていた。
そうそう、麓の民宿は、お湯がすばらしい。宿泊客との兼ね合いで、いつでも日帰り入浴ができるわけではないのだけれど、この日は幸いにも源泉掛け流しの風呂に浸かることができた。宿の方が笑いながら「船通山?今はもう登れないよ!」とおっしゃっていたけれど、こどもの頃には何度も何度も登ったそうだ。
手入れの行き届いた木造りの宿は、心に落ち着きを与えてくれる。加えて何気ない旅の会話がとても嬉しい。今度はぜひここに泊まって、時間を気にせず船通山で遊びたいものだと、心から思うのだった。
玉造りの神の山・玉峰山
砂の器ロケ地巡りと、滝巡りハイクと
腹ごしらえは割子そばで
旅の締めくくりに訪れた玉峰山(たまみねさん)は、実は何度も登っているお気に入りの低山でもある。この山がある亀嵩(かめだけ)という地域には、ぼくが好きな巨石だとか谷戸だとかがとても多く、軽めのハイクを兼ねて山の中に磐座を巡ったりしている。道の駅や映画のロケ地を巡るドライブも楽しい。
奥出雲町の亀嵩は、松本清張原作の『砂の器』の舞台となったことで知られる山間のまち。作品の中で重要なキーワードとなる“東北弁”が島根県の山地でも話されていることが描かれていて、東北出身のぼくはそのことに興味を持ち、ずいぶん昔に訪ねたのだ。以来、度々通っているというわけだ。
いわゆる聖地巡りのようなことなら、湯野神社と亀嵩駅は必ず立ち寄りたい。いまこの駅には「扇屋そば」という手打ちそばの店が併設されていて、これがまた美味いのだ。
出雲といえば、割子そば。
このお店では通常3段重ねのところ、ぼくは最初から4段でいただくことが多い。1段目に薬味とつゆをまぶして蕎麦を食し、残ったつゆを2段目にかけてまた食し……最後の4段目まで同じことを繰り返しながらいただく。もちろん途中でつゆを足してもよい。最後に残ったつゆは蕎麦湯でいただく。これがまた美味しくて、登山の前の腹ごしらえにちょうどよかったりする。
滝に始まり滝に終わる、アスレチックトレイル
湯野神社の正面に見える、ややゴツゴツした山が玉峰山だ。勾玉の材料が採れ、玉造りの社が山頂にあったことからその名が付いたらしい。山中にはゴロゴロした巨石と、そうした岩石を削って流れる滝が見事。
登山口からほど近い「雄滝」は、びっしりと苔が生える岩盤を割くようにして、およそ20mの高さから流れ落ちている。樹木に囲まれながらも滝の前は明るく、その明るさが水の美しさと力強さを浮き立たせる。正面には展望台があり、その両側を挟み込むような岩壁が大迫力だ。
この雄滝を愛でて、玉峰山の山旅をスタートする。
登り始めは雄滝に繋がる沢に沿って、しばらく急登が続く。山中には登山者たちの行く手を阻むかのように巨岩が点在し、その間を通りながら山頂を目指す。これがなかなか楽しい。岩の隙間は行き違うことはできないため一方通行になるのだけれど、この日は譲り合って交互通行するハイカーたちの光景があった。
雄滝から山頂までは1時間程度だろうか。展望は360度とはいかないものの、中国山地に果てなく続く低山の山並みが広大で、今回の山旅で訪れた船通山や比婆山もよく見える。それが、この山を締めくくりに選んだ理由。庄原市と奥出雲町にまたがる広域な旅のフィールドを思い返す機会にしたかったのだ。
標高820mの低い山ではあるけれど、登山口も高いため、全体のコースタイムは2時間強というショートコース。あっという間に終えるジェットコースターのような山である。そのクライマックスが、ゴール地点の手前にある「雌滝」だ。
雄滝と比べて、滑らかな岩肌の壁の奥に秘される小さな流れはとても静かで暗く、それがかえって神秘的に映る。印象的なのは、滝を隠すように挟まっているサイコロのような巨石だろう。今にも転がってきそうだけれど、なんとも絶妙なバランスで宙に浮く様子は、まるで神の仕業だ。
この下には子滝、孫滝と続いている。“家族滝”をすべて巡ってコースを終えるのも、なんだかいい感じではないか。玉峰山、ここもきっとまた訪れる低山だ。
*
帰路、ふと思い出したのは、生命をつなぐ水を四方の里に分け与える母なる山――分水嶺――の発見のことだった。
「母なる山、か……。」
そういえば、イザナミは神話における国産み・神産みの母だ。あらゆる事象の生みの親であり、また“始まりの神”とも言える存在である。そう考えると、間もなく終えてしまうこの旅の先には、また新しく始まるなにかが待っているのかもしれない……。そんな希望に心が満たされながら、旅の帰路についた。
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