北アルプスの玄関口「大町市」で愉しむ 山と温泉の“街中スタディツアー”

低山トラベラー/山旅文筆家

大内征(おおうち・せい)

山を学びに「まち」へ行こう!

今朝、そう早くはない時間に、いつもの山旅とは一味違った気分でゆっくりと自宅を出た。ハンドルを握る手も、車中で流すラジオや音楽も、車窓に広がる風景も、夜明けに山へ向かう時とはまったく別の種類のワクワクを感じている。向かった先は長野県大町市の大町山岳博物館。いつもと違った気分というのは、今日は街中で山のことを学ぶから。登山ではなくとも、その延長のような文化的な山旅のはじまりに、ぼくは静かに興奮していた。

好奇心と冒険心は、大人の山旅に欠かすことのできない第一の条件だろう。ハードな山歩きの末にたどり着く非日常感に満ちた高山の絶景や秘境の最奥は、間違いなく大冒険の楽しみのひとつだ。しかし年齢を重ねる度に変化していく体力や判断力、志向と計画に向き合いながら、その時一番の自分の興味を山里に探究する――これである。これを求めて、今日も山の旅路へと向かうのだ。

いま、ぼくの関心事は山の成り立ちや地域と人との関わり、その営みの中に生まれた歴史物語や文化産業などなど。つまり自然そのものだけではなく人間が自然とどのように折り合ってきて、その地域でどんな進化・深化をして今に至っているのか。そういうことをひも解くのが、とても楽しいのだ。今日、ここ大町山岳博物館を訪れたのは、まさに北アルプスの麓に息づく山岳観に触れたかったから。大町市への道のりをのんびり走るぼくを、北ア前衛の名山たちが出迎えてくれた。

岩石、フォッサマグナ、山岳信仰、近代アルピニズム……

街中を走り抜けた坂道の先に、大町山岳博物館はある。駐車場に停めた車から表に出てみると、秋の空気が軽やかに鼻腔に入ってくる。深呼吸とともに閉じた目をゆっくりと開いてみると、そこには後立山連峰の山々――つまり富山側から見て立山の背後に屏風のごとく連なる山々――が悠然としていて、この景色を眺められる特等席がウッドデッキの上に設えられていた。やや小高いこの位置は、大町市の地形の妙と暮らしの様子を間近に感じられるほどよい距離感。今夜泊まる大町温泉郷の方角を見やると、その背後には立山の長野側玄関口「扇沢」へと続く山間が続いている。平野暮らしでは感じられない、この立体的な地形に、さっそく好奇心が多方向から刺激される。

大町山岳博物館は「北アルプスの自然と人」をメインテーマとした常設展が非常に面白く、さまざまな角度から北アルプスを分析、解説してくれている。3Fでは展望とともに山岳紹介があり、山の伝説や雪形の伝承を知ることができる。2Fはフォッサマグナと北アルプスの成り立ち、それと生き物について。1Fには山と人、とりわけ元来の日本の暮らしや信仰と山の関わり、そして近代アルピニズムの幕開けなど、文化的な視点で山のことに詳しい。フロアマップを眺めながら、ああ、これは時間が足りないだろうなあと、長居する覚悟を決めるのだった。

山に関する資料や展示のある施設が大好きで、日本各地に点在するそうした場所によく足を運んでいる。大分県の長湯温泉にある『林の中の小さな図書館』は特にお気に入りで、毎年決まった時期に訪れて久しい。ここ大町市の山岳博物館と併設の山岳図書資料館は、そんなぼくにとっていつか訪れてみたい聖地のひとつであり、今朝のロード・トゥ・大町市の長い道中も、だからとてもワクワクするドライブだったのだ。いささか遠いけれど、それもまたよい。

3Fの展望ラウンジは、目を見開くほどのパノラマが広がっている。後立山連峰と大町市との間には、見事な円錐形の蓮華岳が大いに目立つ。この堂々とした山容を室内から眺められるのだから、たとえば灼熱の真夏の時期や芯から冷える真冬のシーズンは、この展望ラウンジから彼の地へと思いを馳せる過ごし方もよいだろう。

目の前に広がる山の名称をパネルに指さし確認しながら、「あの山にはこんな岩があるのか」と想像を巡らせる。いくつかの山の地質を代表する岩石が引き出しの中に展示されていて、それらをひとつひとつ開けるのが楽しい。たとえば、餓鬼岳山頂の黒雲母花崗岩だとか八方尾根の蛇紋岩(じゃもんがん)だとか。山を歩いている時に見かける岩石について、ぼくらはどれほど知っているだろうか。花崗岩は山の高低に関わらず、日本各地の山地で見ることができるけれど、蛇紋岩はなかなかお目にかかる機会はないだろう。というか、見てもわからないのではないか。

余談だが、宮沢賢治は鉱物に大きな関心を持っていたことで知られ、さまざまな作品で岩手の山岳とその成分たる岩石に触れている。蛇紋岩なら、遠野市・奥州市・住田町にまたがる名低山「種山ヶ原」を構成するつるつるの鉱物として登場する。その山上に突き出したモナドノック(残丘)に寄りかかって天体観望をしていたであろう賢治を想像して、童話『種山ヶ原』の影響で現地まで確かめに行ったことがあった。そういえば、早池峰も蛇紋岩でできた山だ。あれは雨で濡れるとめちゃめちゃ滑るから気をつけないといけない。いささか脱線してしまったが、山の地質や構成する岩石の種類を知っておくと、そういうリスクに対して想像する手助けになるから悪くない。蛇紋岩、覚えておくべし。

この日はちょうど「北アルプスの山小屋」という企画展があり、これが実に興味深いものだった。山小屋の成り立ちや役割、建築の種類や模型の展示などなど、日ごろお世話になっている山小屋について知ることができる素晴らしい内容にしばしば唸る。

そういえば、立山の室堂山荘の目の前に日本最古の山小屋が保存されていて、あちらも中の展示資料を見ることができる。興味のある方はこれをご縁に足を運んでみてもいいだろう。大町市側からなら、扇沢から黒部ダムを経て立山へ向かうことになるため、「登山×建築物」というテーマハイクなんかも楽しめる。

大町山岳博物館では、個人的に立山信仰や佐々成正のアルプス越えなど、通史的に北アルプスをとらえる機会として本当に面白く学ぶことができた。山名由来の類型考察や文学絵画など芸術との関わりも知ることができた。近代登山の区画には、故郷・仙台を代表する登山家の槇有恒さんの展示もある。アイガーの東山稜登攀に初めて成功した人だ。ああ、もうお腹いっぱい!と充実の思いだったけれど、実は、さらなる学びの部屋がこの奥にあるのだった。

その奥にある山岳図書資料館が……すごい!

頑丈な建物には、がっしりと鍵がかけられている。なにやら一般客は立ち入る雰囲気ではないのだけれど、受付で希望をすれば、この山岳図書資料館も見学することが可能。収集したものに加えて寄贈されたものを含めると、ざっと3万点を超える書籍や日記の類、地形図に記録写真などが大変きれいに収蔵されている。古いレコードなんかもあったし、数年前に一年間連載させていただいたことのある『岳人』をはじめとした登山誌も所狭しと並んでいた。

山岳信仰・修験道に関する書物は見るからに貴重なものばかりで、戸隠、出羽三山、木曽御嶽、大峰山、英彦山といった代表的霊山の開山史がビッシリと保管されていた。とりわけ北アルプスの開拓資料と山行記録に関するメモなどは膨大で、この領域が好きで度々足を運んでいる人も少なくないそうだ。その気持ちよくわかる!と、静かな書庫でついつい独り言ちる。

北アルプスの絶景が待つ鷹狩山まで手軽にハイキング

 大町山岳博物館のよいところは、館内で散々に山のことに触れてスイッチが入ってしまった人を受け入れてくれる、軽めのハイキングコースがあるところだろう。バス停の裏手からはじまるこのトレイルを1時間半ほど歩くと、鷹狩山展望公園へと辿り着くのだ。標高1164mの山頂には展望台があり、後立山連峰の山稜をよりよく眺めることができる。遠くには白馬、鹿島槍ヶ岳も見える絶好の展望。この山々の向こう側には……立山がある。

落日の頃、鷹狩山からの眺めを思い出しながら、宿をとった大町温泉郷に向かった。名湯・葛温泉から引かれた湯につかり、ふと佐伯有頼という少年のことを思う。この少年を立山開山へと導いたと伝わるのが白鷹だ。なるほど、そんなことを思い合わせると、もしや鷹狩山はあの立山と無関係ではないかもしれない。そんな妄想を楽しみながら、明日の学びに備えた。

大町温泉郷で温泉に入る、温泉を学ぶ

朝湯の贅沢さを実感できるようになったのは、それこそ登山を始めてからのこと。ハードな山行の翌朝、泊まっていた宿の渓谷に面した露天風呂で朝湯をいただいたことをきっかけに、その格別の気持ちよさに開眼した。

温泉は面白い。泉質というものがあって、効能というものがある。好きな人はそういうことをつぶさに調べて、日本各地の秘湯名湯を訪ね歩くのだろう。ぼくはそこまでではないものの、温泉王国・宮城県の出身だし、温泉とお酒を登山の一部と見なしてもいるから、少しばかり良いお湯のことを知っていたりする。

そんなわけで、大町市に来たら立ち寄りたい場所がもう一つあった。それが「薬師の湯」に併設された「アルプス温泉博物館」である。ここも「人と温泉」をテーマにしていて、大町市の博物館が「人」を重要なテーマとしているところに好感を持った。

それにしても、ここも実に面白い展示ばかり。温泉の成り立ちはもとより、各地の温泉が発見された理由(動物の湯あみ、高僧や武将の嗅覚、神仏の導き)の一覧や、歴史伝承、源泉のメカニズムからボーリング方法の今昔、湯の華や沈殿物のサンプルなどなど、ありとあらゆる温泉トリビアで埋め尽くされているのだ。

中でも面白いのはタオルの変色比較だろう。真っ白なタオルを温泉につけて変化したその結果が展示されている。日本各地の名だたる温泉につけられたタオルの中で一番濃く変色していたのは、秋田県の後生掛温泉だろうか。ずいぶんと茶色く変色しているタオルを見て、いつかの再訪を誓った。

たった二日間のことながら、昨日の大町山岳博物館、山岳図書資料室に続き、なんて濃密な学びの旅だろう。山好き・温泉好きなら、大町市の街中に博物館行脚をするだけでも間違いなく楽しめる。そんなことを思いながら、締めくくりに「薬師の湯」で朝湯を楽しんで、この後に控えているロングドライブに備えた。

山に行かずとも、山に思いを馳せる習慣をもつ

そうそう、とてもよい出会いがあったのだ。昨日、大町山岳博物館前のウッドデッキでのこと。実はその時、ベンチに腰掛けている先客の男性がいた。近づいてみると、ここから眺める大町市の風景を描いていて、すっと引かれた薄い鉛筆の線に、少し色を付け始めたところであった。

絵心もないのに「お上手ですね」と声をかけるぼくに、にっこりと優しい笑顔を返してくれる。歳を重ねてからあちこち旅をするようになって、その土地の風景を絵にするようになったんですよと、後ろの方から歩み寄ってきた女性が話してくれた。数日前からご夫婦で大町市に入り、あちこち訪ね歩いていたのだそうだ。そんな人生の大先輩たちと、しばし旅談義に花が咲いた。

「こんな小さなスケッチブックでも、書き留めてきた積み重ねはとても大きいんですよ。たまに見返しながら、これまで旅してきた土地のことを思い出しては、それをヒントにこれから旅する未踏の地のことを思案する。それがまた楽しいんです」

ああ、そうか。確かに、積み重ねた過去は、いずれ未来をつくる。こんな風に旅先の情景を絵にすることは出来ないけれど、ぼくの場合なら撮り溜めた膨大な写真と書き溜めた大量のメモ帳がある。だとすれば、この旅の大町市の記録とご縁は、次なる旅のはじまりのタネになるはずだ。

朝湯で妄想した鷹狩山と立山の関係を思う。白鷹に導かれて立山を開いた有頼少年よろしく、次なるぼくの旅先は、大町市に導かれて立山に行くのがよいかもしれない。その時は、扇沢から立山黒部アルペンルートで向かおうと思う。

文・写真 :低山トラベラー/山旅文筆家 大内征

<コース>

1日目:大町山岳博物館→鷹狩山展望台→大町山岳博物館【参考コースタイム:約3時間】

2日目:大町温泉郷の薬師の湯&温泉博物館【参考コースタイム:約2時間】

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低山トラベラー/山旅文筆家

大内征(おおうち・せい)

土地の歴史や物語を辿って各地の低山を歩き、自然の営み・人の営みに触れながら日本のローカルの面白さを探求。その魅力とともに、ピークハントだけではない"知的好奇心をくすぐる山旅"の楽しみについて、文筆と写真と小話とで伝えている。
NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー出演中。著書に『低山トラベル』、『とっておき!低山トラベル』(ともに二見書房)、新刊に『低山手帖』(日東書院本社)など。NPO法人日本トレッキング協会理事。

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