空海ゆかりの山・再度山
港町神戸の魅力は“山”にあり

低山トラベラー/山旅文筆家

大内征(おおうち・せい)

新神戸駅から徒歩5分の“秘境”が楽しい!

新神戸駅に降り立つと、ふわりと香る山の匂いに全身を包み込まれる。ビジネスマンも旅人も等しく、港町の玄関口に立った瞬間に、山が身近にある大都市に好感を抱くのだ。

この山陽新幹線のプラットフォームは、ただちに樹林が目に入るほど山が近い。駅裏がすでに大きな山塊で、その全体を総称して「六甲山」と呼ぶ。都市の至近にありながら意外なほど山深くて険しく、神戸市におけるシンボリックな存在の山として知られる。日本有数の港湾都市の象徴が“山”というところに、この町の面白さと魅力が隠れているといえる。実際、山と海の距離が驚くほど近く、これほどSea to Summitが似合う町もない。

駅から始まる“秘境”のトレイルは、そんな港町・神戸の真髄――隠された魅力を知るための最適な道だといっていい。都会でありながら歴史が深く、ここを訪れる人の身心を木々のフィトンチッドと水辺のマイナスイオンとで満たしてくれる。そんな“秘境”コースの前半は新神戸駅から再度公園まで、後半は再度公園から元町駅までを歩く。歴史や文化など見どころには欠かない。ハイカーならずとも、この町を存分に愉しみたい旅人には、ぜひ歩いてほしい道だ。

滝と水辺を辿る、涼やかな道

歩いて5分という極めて近い位置に、落水の音が心地よい「布引の滝」がある。いくつかの滝の総称で、中でも「雄滝」は落差43mの見事な滝だ。むき出した花崗岩の白壁の上を、純白の布が流れるようにして水が落ちる。これぞ“布引”の由来である。古より歌や文学に取り上げられるほど秀麗な名瀑で、滝の周辺には不動明王や龍神が祀られているのだ。水を大事にする神戸の里人たちの信仰を感じるだろう。

観光客の多くは、ここを折り返し地点として駅へ戻る。しかし山歩きの心得がある人ならば、この先へと進みたい。奥深くへ続く道はしっかり整備されているし、分岐には道標も設えられているから迷うことはないだろう。このコースの最深部である「再度公園」まで、見どころが点在するトレイルをのんびり歩くのが気分だ。

歩道をしばらく歩くと、古めかしい建造物が目に入ってくる。規則正しく積み上げられた石が城塞のような「布引ダム」だ。日本初の重力式コンクリートダムで、近代化産業遺産に認定されてもいる大きな堰堤である。生田川を堰き止めた貯水池は満々と水を湛え、静かな水面を野鳥が飛び交う。風がなければ鏡のようで、映し出される空と雲と水辺の樹木がたいそう美しい。新幹線の駅から30分とは思えない癒しの環境だ。

その貯水池の水がダムからオーバーフローしたときにだけ出現する幻の滝を「五本松かくれ滝」という。晴れが続くと目にすることが叶わないため、雨後のよいタイミングに訪れれば、このような幾筋もの白い流れを目撃することができる。ちょうどこの日は梅雨の合間で、つかの間の夏日だったものだから、期待以上の水量に涼を感じることができてラッキーだった。

それにしてもこの道では、ハイキングをはじめトレイルランニング、家族連れ、BBQや川遊びなど、さまざまなスタイルの遊びに興じる人をたくさん見かける。多様な山の楽しみ方が定着している証と言えそうだ。そういえば神戸には、日常のように山と付き合い日々の習慣として身近な山に登ろうという「毎日登山」という地域文化が根付いていることも興味深い。

近年の日本の登山は、その楽しみ方が多様になり、さらに細分化しつつある。とにかく長く道を歩きたいだけの人もいれば、渓谷道や沢筋に楽しみを見出す人、歴史や文化を巡る知的な冒険を好む人、山で食事を楽しみたい人、山小屋をゴールにする人、同じ山に何度も登る人……。登山といえば“高い山のピークを目指す”イメージが根強いこの国において、神戸の人たちの山の楽しみ方は、とても文化的で興味深い。町の遊びの延長に、この“駅裏の身近な秘境”を上手に利用しているのだ。

一方で、日本は災害の多い国でもある。アウトドア用の道具や知識はそうした非常時に役に立つ。特に神戸は阪神淡路大震災の経験があり、週末の過ごし方にアウトドアのエッセンスをちょっと取り入れて、日常的な備えとしている人もいるのだろう。かくいう筆者は地震の多い東北の出身である。登山やキャンプの経験が、やはり災害時にとても役に立った経験があるということを、ここに付け加えておきたい。

再度公園でひと休み。山上の池はコーヒーが美味しい

桜茶屋から河原に下りると、沢辺で遊ぶ人で賑わう市ヶ原に出る。浅瀬で遊ぶこどもに、山ごはんを愉しむハイカーまで、思い思いに川辺に腰を掛けている。ここから川に架かる橋を渡り、樹林の道をしばらく進むと、やがて「蛇ヶ谷」の分岐となる。日本史における興味深い事件のひとつ「宇佐八幡宮神託事件」で知られる和気清麻呂が、このあたりで道鏡という僧の放った刺客に襲われた際、谷に棲む大きな龍に救われたと伝わる。まさしく龍でも躍り出てきそうな鬱蒼とした蛇ヶ谷だが、ここを抜ければ、大きな空とこじんまりとした池が広がる国指定名勝「再度公園」はすぐそこだ。

ここまで樹林と谷の道が続いたからか、遮るもののない日光が懐かしい。再度公園の中心には「修法ヶ原池」が広がっていて、その畔をぐるりと遊歩道が囲み、心地よい風がそよぐ中で散策するのが気持ちいい。ちょうど対岸に、雰囲気のよいログハウスが佇んでいる。何組かのハイカーのグループと遊歩道ですれ違ったときに、しばらく空き家だった小屋に明かりが見えるわねーと、みなが一様に驚いていたのが印象的だった。ここ数年、この小屋は使われていなかったらしい。

その話をログハウスですると、2Fのフラワーデザイン会社のアトリエの方曰く「この春から入居したんですよ」とのことだった。まだそれほど知られていないのかもしれないが、この素晴らしいロケーションはきっと人気が出るだろう。1Fには土日だけ開く小さなカフェが入っていて、池の周辺にはベンチも多い。休憩するには打ってつけだ。ぼくは注文したアイスコーヒーとスコーンを頬張りながら、この公園の素晴らしい雰囲気にしばし時間を忘れた。

隣でアイスコーヒーを飲んでいた女性に話しを聞いてみると、むかしはボートで遊べたそうで、デートをした思い出があるのよと、こっそりエピソードを教えてくれた。現在はボートも釣りもできないが、神戸の中心街からほど近くにこれほど素敵な場所があるだなんて、これは足を運ばない手はない。車で来ることもできるし、休日ならバスもあるのだから。

新神戸駅からここまでおよそ4kmのほどよい距離。のんびり歩いて1時間半ほどだろうか。充分に歩いたと思うならここをゴールにして、公共交通で神戸市街地へ戻る――そんな週末の過ごし方もよさそうだ。

弘法大師がリピーター!歴史深い再度山と大龍寺を訪ねる

再度公園からふたたび山道に入り、大龍寺を目指す。ここは和気清麻呂が開山となってできた寺院だ。すぐ麓の蛇ヶ谷で大きな龍に救われたことに感謝した清麻呂は、この地に聖如意輪観世音菩薩を本尊とする「大龍寺」を開いた。当初は山号を摩尼山としたが、後に弘法大師空海が二度お詣りしたことから「再度山」となったらしい。
ふたたびさん、という響きに感じ入っていたぼくにとっても、この日はまさに二度目の登山だった。次々と山々を制覇する登山もよいけれど、気に入った山やご縁を感じる道があるなら、リピーターとなって何度も訪れるのもまたよいものだ。

立派な山門をくぐると道は二手に分かれ、正面に寺の参道、左に道をとると朱の鳥居が続く権倉稲荷大明神の参道となる。山上で表参道と合流するから、どちらの道からでも大龍寺を詣でることができる。梅雨の合間の貴重な木漏れ日に誘われて、ぼくは鳥居の参道を歩くことにした。

本堂の前に到着すると、そこは覆う樹木がなくとても明るい。ひとたび太陽が出れば、神仏の前にすべてが照らされてしまうようだ。素直な気持ちになって己をさらけ出し、浴びるように陽射しを受ける気持ちよさたるや。ここまでの無事の山行に感謝をして、深く深呼吸する。ゆったりと周囲を見渡してみると、この本堂が背負っている山の上に、大師堂と呼ばれる奥の院があることに気がつくだろう。さらにそのまま登って行けば、そこが再度山の山頂らしい。

奥の院に続く道にはたくさんの石仏があって、奥に行けば行くほど神域に向かう厳かな雰囲気を作り出している。15分ほどだろうか、登っている最中に天狗を祀る大きな磐座が現れる。そこには空海手彫りの亀石があるから、ぜひ探してみるといい。

この岩の上が、再度山の頂である。空海も登ったであろうその場所からは、いったいどんな景色が見渡せるのかと想像する。いささか急なところをよじ登るようにして乗っ越すと、そこには神戸の町並みと港を見下ろす絶景が待っていた。

山の麓は三ノ宮あたりだろうか、ビル群がよく見える。そのすぐ先は海で、港の様子が手に取るようだ。遠く正面には大阪南部の山々がたなびく。大和葛城山、金剛山、和泉葛城山と続く稜線が雲の間に浮き立っており、西に目を向ければ淡路島が波の間に浮かんでる。

再度山の由来となった空海の大龍寺参拝は、遣唐使の前と後の二度の訪問によるものだ。危険を伴う航海の安全を祈るとともに、当時最高の修法先であった唐で自分の求める教えに出会えますようにと願ったのだそうだ。わずか二年で帰国した空海は、ふたたび大龍寺にお礼参りに訪れ、これが「ふたたびさん」の由来となった。亀石を掘ったのも、その二度目の訪問のときだったらしい。

そんな経緯がある山だから、下山するなら「大師道」を選択したい。このコースは諏訪山からビーナスブリッジを経て、洋風建築物が立ち並ぶ北野町を通り、元町駅がゴールとなる。YAMAPによれば、およそ5kmの距離。のんびり2時間ほど、ほぼ下りの道のりである。

大龍寺の表参道に、六甲山域全体に渡って根付く「毎日登山」の発祥を伝える碑があった。大師道の途中には喫茶店などの飲食店があるので、時間に余裕があるなら立ち寄っても楽しい。

ビーナスブリッジから望む黄昏の神戸

下山してくるタイミングで、夕陽を受ける神戸の町を間近に眺める――そんな絶景を拝める場所が「ビーナスビリッジ」という8の字の螺旋橋だ。夜景の美しさで知られる展望スポットだが、昼夜を問わずその美景を楽しむ人が橋に集まる。ちょうどこの橋の麓にある諏訪山公園で、かつてフランスの天体観測隊が金星の観測を行ったことから、ビーナスの名が付いたそうだ。

夜の帳が下りるまで、まだずいぶん時間がある。YAMAPのログを見ると、新神戸駅から再度公園を経てここまで10kmほどの道のり。火照った身体にはほどよい疲労感がある。正直に言えば、夜景よりビールが欲しいところだ。麓に見える元町あたりにはいい飲み屋が多い。頭の中にキンキンに冷えたビールを思い浮かべ、町へ下りることにした。この日のぼくには、夜景よりも神戸のご当地ビールの方が魅力的だったようだ。

文・写真 :低山トラベラー/山旅文筆家 大内征

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低山トラベラー/山旅文筆家

大内征(おおうち・せい)

土地の歴史や物語を辿って各地の低山を歩き、自然の営み・人の営みに触れながら日本のローカルの面白さを探求。その魅力とともに、ピークハントだけではない"知的好奇心をくすぐる山旅"の楽しみについて、文筆と写真と小話とで伝えている。
NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー出演中。著書に『低山トラベル』、『とっておき!低山トラベル』(ともに二見書房)、新刊に『低山手帖』(日東書院本社)など。NPO法人日本トレッキング協会理事。

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